はるみ図書館

読んだ本の話や日々思ったどうでもいいことを自己満足で書きます。温かい目でご覧ください。

【書籍レビュー】『鴨川ホルモー』

おはようございます。

だんだん暑くなってきましたね・・・。どうも、はるみです。

 

いきなりですが皆さん、お好きな本のジャンルは何ですか?

ミステリー、ビジネス、学園ものなど、本には色々とジャンルがありますよね。

私は基本どんなジャンルの本でも読みます。ただ、自分で好きな本を選ぶとなるとなかなか手を付けないものがあるんですよね。

それがファンタジーなんというか、世界観に入り込むのが苦手なんです。

ですがそんな私が、久々に面白い!紹介したい!と思う本に出会いました。

それがこちら。

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万城目学さんの『鴨川ホルモー』です。それでは、2回目の書評です。

早速行ってみましょう。

 

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【書籍レビュー】『今日もひとり、ディズニーランドで』

皆さんこんにちは。はるみです。

人生初の書籍レビューに挑戦しました。

といってもまだまだ至らないところだらけです。温かい目でご覧ください。

 

 

 

 

 

記念すべき1回目となる今回、紹介するのはこちらの作品です。

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ワクサカソウヘイさんの『今日もひとり、ディズニーランドで』です。

それではいってみましょう。

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禁止されたものほどやりたくなる話。(コーヒーの話もあるよ)

ディズニーランドに行きたい。

もともとそんな「ディズニー大好き!」人間というわけではないのだが、最近、なぜか無性にあの夢と魔法の王国に行きたい。キャラクターを見つけて喜びつつも、写真を撮るのを恥ずかしがったりしたい。

 

動物園に行きたい。

動物アレルギーの私がこんなことを言うのは珍しい。だが最近、無性にウサギをもふってやりたくなる。絶対に鼻水が止まらなくなることは目に見えている。

 

映画館に行きたい。映画なんて家でも見れる。だが最近、無性に映画館で映画を見たくなる。というか映画館のポップコーンが食べたい。あの味が均等についていない感じが愛おしいのだ。

 

人は、禁止された行為ほどやりたくなるものである。

実際に私が挙げたこの3つは今することができない。環境が提供されていないのだ。

環境が整っていて、自分がやりたいと思ったらいつでもできる状態だったからこそ、私たちはめんどくさがったり「また今度でいいや」と考えたりすることができた。

それがどうだろうか。この状況が崩れている今、私たちの欲望はむき出しになったのである。

行きたいとも思わなかったディズニーに行きたくなり、アマゾンプライム会員なのに映画館に行きたくなる。コンビニのポップコーンではもう我慢ができない。

動物園は我慢しよう。私の家の近くの公園には狸が出るから。

 

今まで生きてきて久々に、勉強をしたいと思っている。

これは私にとって快挙に等しい。私は大の勉強嫌いである。

それでも自分が入りたいと決めて、奨学金を借りてまで入った大学だ。自分の中に無意識のうちに覚悟があったのだろう。久々に勉強したい、学びたいと思うようになっている。

今、大学ではほぼ毎日資料が配信されて課題が出される。この資料がなかなかのくせ者なのだ。

何語を話しているのかわかったもんじゃない。難解すぎる。それで課題をやれというのだ。なんという鬼畜。

自分の知識のなさを改めて痛感している。

こうしてディズニーも、動物園も、映画館もいけない毎日である。

少しでも知識を身に着けて、家の中でも大学生になっていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

文字数が意外といかなかったのでここで小話を一つ。

世間ではダルゴナコーヒーが人気である。牛乳の上にもこもことしたコーヒーの泡を乗せたなんともエキセントリックな飲み物だ。

私も昨日、初めて作ってみた。これがなかなかおいしい。上のコーヒーがかなり濃厚で私の好みであった。というか、今もこの記事を書きながら飲んでいる。

ただ問題が発生している。私はこの飲み物を飲むのが下手すぎる。先に下にある牛乳が消えて、最後に苦い泡だけが残るのだ。

私はフラペチーノにしろ、タピオカドリンクにしろ、二つ以上のものが組み合わさって作られている飲み物を飲むことが非常に苦手である。タピオカドリンクなら最後はタピオカオンリーでもちゃもちゃ食べる。フラペチーノもクリームだけ残ってしつこすぎる最後を迎えている。ダルゴナコーヒーも例外ではない。

できれば最後まで牛乳とコーヒーのちょうどいいハーモニーを味わいたいものだ。

誰か上手な飲み方を教えて欲しい。

 

生きるのがへたくそな大学生の話。

それぞれ人間には得意不得意がある。

勉強はできるが運動は苦手な人。文章を書くのは得意だが絵を書くのは苦手な人。

それぞれみんな、得意と苦手が存在していて、上手に付き合いながら生きている。

私の特技はスピーチとピアノと短距離走。スピーチは学校や大会で賞を取ったことがある。ピアノは小2から中3まで習っていたのである程度弾ける。短距離は陸上未経験にしては速く、高校3年間はクラスリレーの代表選手であった。長距離に関してはここでは言わない。

苦手なことは水泳と鉄棒。こればかりは無理。みんなどうして泳げるのかわからない。

私の前世は陸上動物だ。なので腕にも力がない。ぶら下がるとすぐつる。回転したら目が回る。

そんな私だが、最近もう一つ、苦手なことを発見した。

 

私が苦手なのは「生きること」だと最近つくづく思うのである。

私は重度のHSPである。HSPとはご存じだろうか。最近本やテレビなどで目にする機会も多い言葉である。

簡単に言うと「超繊細・超敏感な人」だ。私は最近、自分がこのHSPであることを知った。

 

昔から周りの空気に圧倒されることが多かった。

自分に関係がないことでも周りの人が苦しんでいたら自分も苦しくなる。とにかく他人にものすごく左右される人間だった。

これは先日のアルバイトの話である。

私とは全く関係のないミスが起き、同じバイトの人がマネージャーにこっぴどく怒られていた。しかも私の前で。

私はその人が何のミスをしたのか知らない。それでも私は謎の申し訳なさで頭がいっぱいになった。怒られているその人の感情がすべて自分に伝わってくる、というのが正しいか。自分は何もしていないのに、仕事が手につかなくなるくらい頭が真っ白になった。

その後もその人は落ち込んでいた。普通なら「それくらい大丈夫ですよ!」と言えばいい話なのだが私は一緒に落ち込んでしまったのである。

「自分が何かできたのでは?」「こんな時いい言葉を選べない自分は・・・」

相手からしてみれば私が何かしようとどうってことはない。私は一人で自分とは関係のない出来事にひどく悩んだのだった。

他人のミスでこうなる私だ。自分のミスならもう大変である。

関係のない店員全員に謝りたくなる。マネージャーには「そんなに謝られても困る」と言われた。

でも私は自分の犯したミスが他人の感情に影響を与えていることをひどく恐れたのだ。

これは何とも生きづらい。

 

「それはHSPだと思う。」

高校の保健室の先生が私に言った。そこで私は初めてHSPの存在を知った。

HSPの主な特徴はこうだ。

・他人の気分に左右される。

・強いにおい、ざらざらした服に圧倒される。

・すぐに驚く

・短時間にたくさんのことを頼まれると混乱する。

・あまりにもたくさんのことが自分に起こっていると不安になる。

などなど、たくさんある。

 

私は保健室の先生にHSP診断をしてもらった。しっかり当てはまった、しかも結構重度であった。

確かに思い当たることが多い。昔からざらざらした服を嫌がった。驚かされたとき、周りが予想しないくらい驚いてしまうのでオーバーだと言われた。今でもバイトで一気にたくさんのことを話されると混乱する。

先生のおかげで私は自分のちょっと特殊な性格を知ったのである。

HSPは決して病気ではない。一つの性格である。

自分の苦手なことは「上手に生きること」だった。

周りの空気に飲まれ、バイトの仕事も素早く行えず、精神的にも不安定になりやすい。

もともと苦手なことは水泳と鉄棒くらいしかないと思っていた私にとってこの問題は致命的であった。

 

しかし、私も人間である。得意なことがあれば苦手なこともある。

私は、すべて受け入れる準備を始めた。

と言っても、まだまだである。昨日もバイトで友人がミスをしていて、それを見た瞬間少し息苦しくなった。先輩とマネージャーのぎすぎすに心が痛んだ。

頼まれごとを一度に3つされてパニックになった。やはりまだまだ生きづらい。

 

しかしそれが私である。私の性格である。

HSPの人は自己肯定感が低いと言われている。その通りだと思う。証拠として私は自分が嫌いだ。でも、これから好きになっていきたいと思っている。

 

昨日みたいな日の翌日はとことん自分が嫌になる。

そういう日はとことん自分を甘やかす。

勉強はお休み。お昼にはちょっと体に悪そうなカップラーメンを食べる。いつもは頑張ってセーブしているお菓子も今日は制限なし。

そうやって、うまく自分を甘やかして、時には気合を入れて、私は今日も生きていく。

 

はるみ。18歳、A型。

好きな食べ物はチーズとチョコと餃子。苦手な食べ物はスイカ

趣味は読書と野球観戦。

苦手なことは上手に生きること。

得意なことは、そんな自分を大切にすること。

 

そう言える日を、いつか夢見て。

 

母がゲームを買った話。

自粛期間が続く今日この頃、某SNSのストーリーには今日も見慣れた島が並ぶ。

眼鏡をかけた猫やどこぞの絵文字にそっくりな羊をもう何回見たであろうか。

セーブをしないとブチ切れするモグラは今何をしているのか。

時代は「あつまれ どうぶつの森である。

私はニンテンドースイッチを持っていないのでこのあつもりとかいう人気ゲームには一切手を出していない。

「流行りには乗るものか!」と意地を張っているだけなのかもしれない。

一番の理由はスイッチが高すぎることだが。

 

小さかったころ、初めて買ってもらったゲームが「おいでよどうぶつの森」だったことを思い出した。

ゲームというのは、どうしてこんなにもワクワクするのだろうか。ゲームを買いにお店に行った時のワクワク感、買ったゲームを抱えて家に帰るまでのあのゲームをやりたいのにやれないもどかしさ。

いつになっても、あの魔法の道具は私たちを子供のころに連れて帰ってくれるのである。

 

最近のどうぶつの森は何やら住民厳選ができるらしい。

何たることであろうか。

これはとびだせどうぶつの森まですべてのゲームをプレイした私としては何とも理解しがたい問題である。「厳選」とはけしからん。

どうぶつの森のいいところは住民がランダムなところである。

かわいい子、イケメンな子が来れば大喜びする。おブスが来たらそれはそれでいいネタにする。追い出すことはしない。絶妙にいじる。

それがどうぶつの森ではないのか。

SNSを見る限り、住民の顔ぶれがほとんど同じである。これはどうなのか。たもつも4号も私にとっては可愛いのだが。らっきょだって味があっていいと思う。

私は住民にこだわりがないので一時期村にゴリラが3人いた時期だってあったというのに。

なんてどうでもいいことをストーリーを見ながら考える。正直もうあきた。自粛はもううんざりだ。

最近は某絵文字によく似ている羊で癒されている。ぴえん。

 

それから数日後の夜である。

母が突然ゲームを買った。このご時世である、お家時間を楽しみ方を考えたのであろう。

私はもちろんスイッチを買ったと思っていた。だって、時代はあつもりだから。悔しいけど。

しかし、流行に乗らないのが私の母である。母が買ったのは、

やけにちっさいファミコンであった。

「懐かしいでしょ!?」と母は自慢げに話す。

いや待ってほしい。私は2001年生まれだ、世代としてはDSである。

ファミコンに懐かしさは感じないし、というか現物を見るのも初めてである。

そして何より私が一番驚いたのはその大きさである。ちっさすぎやしないか。

本体は片手にすっぽりと収まるし、コントローラーに関してはもっと小さい。

私の知っているファミコンの大きさではない。

 

調べてみたところ、これはどうやら「クラシックミニ」というシリーズらしい。2016年に発売されたそうだ。

30種類のゲームがカセットなしでできるの!と母は楽しそうに話しているが、ファミコンを実際に使ったことがない私には何一つとしてぴんと来なかった。

カービィやマリオ、パックマンはわかる。大乱闘スマッシュブラザーズをやったことがあるのでアイスクライマーメトロイドもわかる。

でもダウンタウン熱血物語とはなんだ。聞いたこともない。

しかし、そのダウンタウン熱血物語を私が一番のお気に入りにすることをこの時の私は知らない。

 

そして昨日、家族3人でこのファミリーコンピュータデビューをした。

「最初はマリオだな。」と父がコントローラーを手に取る。土木の仕事をしている父はがごつごつしていてでかいのでコントローラーがさらに小さく見える。絶対にやりづらいと思う。

母もつられてコントローラーを持つ。私は自動的に見る専になった。

正直母は下手だった。「なぜそこで落ちる!?」というとこで静かに落ちる。父は昔やりこんでいたのだろう、かなりうまい。

私も少しだけやってみたが、ヒップドロップができないのを理由にすぐにやめてしまった。

手のひらサイズのファミコンを片手に大はしゃぎする姿はまるで子供である。

 

ゲームは大人を子供にする。

 

私はDSを引っ越しする時に売ってしまった。

もし今手元にDSとおいでよどうぶつの森があったら、私も両親のように興奮するのだろうか。いや、確実にする。そして村の金好きの狸にイライラしながらのんびり釣りをするのである。

ポケモンもすてがたい。

特殊技の使い方がいまいちわからず物理技だけでごり押ししていたあの頃に戻ってみたいと思う。

トモダチコレクションで住民にわけのわからない歌を歌わせていたあの頃でもいいい。

ちなみに深夜1時までファミコン祭りは続いた。ドクターマリオのBGMが頭から離れない。普段はクールで、仕事人間の両親の無邪気すぎる姿を見たとき、私は外出自粛も悪くないかも、と初めて思った。

 

私はメルカリでDSと検索していた。

 

 

 

少しずつ、大学生になっていくお話。

今日は母の44才の誕生日です。おめでとうお母さん。

プレゼントはまだ届きません、どうしましょう。はるみです。

本日もよろしくお願いします。

 

【少しずつ、大学生になっていくお話】

大学のオンライン授業がスタートしました。と言っても必修とゼミだけですが・・・

何とかすっぴんパジャマ姿でのゼミ参加は回避することに成功いたしました。よくやったぞ、私。

初回の授業はYouTubeライブとzoomを介して行われました。こういう時にパソコンやスマホなどの電子機器の進化はすごいなぁと感じます。その一方でどんどんこれらの道具が手放せなくなる時代が来ていることに少しの不安も感じます。

 

学校公式で行われている掲示板はゼミや必修のメンバーとの自己紹介で大盛り上がりです。

個人的に読書と野球観戦が趣味な人が多かったことがとてもうれしかったです。

好きな作家さん、作品で多くの人と言葉を交わせるというのは何とも楽しいものですね。

早くみんなに会いたいと思う毎日です。

ほんとコ〇ナめ・・・!!

まぁコ〇ナにイライラしていてもしょうがないので話を進めましょう。

 

こうして家の中で指定された本を読んだり課題を解いたりする日々が始まりました。

思い描いていたものとはだいぶ異なってはいますが、自分もようやく大学生になったんだなとしみじみ感じます。

小さい頃の私にとって大学生というものはキラキラの象徴でした。

親戚に大学生のお兄さんお姉さんが多かったのでいつも大学の楽しそうな話を聞いて「私も早くなりたい!」とよく考えていました。お姉さんたちのおしゃれな服やきれいな茶髪にもあこがれていました。

今の自分を鏡で見てみると

・よくわからん服

・染めるタイミングをなくした黒髪

・眼鏡

という最悪な状況です。どうしてこうなった?

それでも肩書は大学生です。もう高校生ではありません。あの頃のあこがれの存在に私はなったわけです。

今日も明日も明後日も家にいるわけですが、少しずつ、一人の大学生としてキャンパスライフを楽しんでいきたいと思います。それでは。

 

〈今日のひとこと〉

高校や中学では「学校生活」というのに大学では「キャンパスライフ」というのはどうして?

春の嵐と片頭痛の話。

コロナ太りが順調なはるみです。痩せたいです。

本日もよろしくお願いします。

 

春の嵐片頭痛の話】

実は私、意外と体が弱いです。

まず問題としてアレルギーが多い。花粉症もひどいし食べ物も食べられないものがあります。特に困るのが卵アレルギー。加工品は食べられるのですがオムライスや目玉焼きなどTHE!卵!!というものを食べると体がかゆくなります。

猫などの動物も基本アレルギーです。アレルギーのことはまた今度かきたいと思います。

 

今日お伝えしたいのはこの時期私が一番苦しむ症状です。

それが片頭痛!!

片頭痛とは、私は中学2年生の時にお医者さんに「片頭痛持ちだねー、頑張ろうねー」と軽いノリで教えられてから、もうすぐ5年の付き合いです。カップルなら相当長続きですね。

とはいっても日常生活にそんなに支障はありません。今日みたいな天気が穏やかな日はいつも通り生活しています。

でもこの時期、片頭痛持ちは本当に大変です。

なぜかというと、春の嵐という圧倒的な敵がいるから。

この時期は急な天気の変化がとても多いですよね。さっきまで晴れていたのに急に雨が降ったり、一気に雨が降ったと思えば一気に晴れたり・・・

天気の差が激しいということはそれだけ気圧差も激しくなるわけです。

気圧がどーんと下がると頭痛もドーン。それに伴い気分もドーン・・・

この時期は私にとってかなりつらいです。片頭痛がひどい日は何もする気が起きなくて大好きな読書もこうしてブログを書くこともできません。まぁ、頭痛薬を飲んで寝ていればすぐよくはなりますけどね。それでもつらいです。

 

体の不調もそうですが、雨の日って心も沈みますよね。

ただでさえ家にいる毎日なのに、ひどい雨とひどい風で窓一つ開けられない・・・

別に出かけるわけではないとしても、雨の日より晴れの日のほうが心は穏やかです。

今日みたいな風のある暖かい日は最高ですね。日向ぼっこしたい。

 

今日は書くことがないのでこのような軽いお話で終わりです。

最近1500文字とか普通に書いちゃっていたからこういう日もあっていいよね。

私の住む町は明日も雨らしいです。がんばっていきましょう。それでは。

 

〈今日のひとこと〉

今日久々にコンビニに行ったら買おうと思っていたものを買い忘れて買わなくていいものを買っていました。