母がゲームを買った話。
自粛期間が続く今日この頃、某SNSのストーリーには今日も見慣れた島が並ぶ。
眼鏡をかけた猫やどこぞの絵文字にそっくりな羊をもう何回見たであろうか。
セーブをしないとブチ切れするモグラは今何をしているのか。
時代は「あつまれ どうぶつの森」である。
私はニンテンドースイッチを持っていないのでこのあつもりとかいう人気ゲームには一切手を出していない。
「流行りには乗るものか!」と意地を張っているだけなのかもしれない。
一番の理由はスイッチが高すぎることだが。
小さかったころ、初めて買ってもらったゲームが「おいでよどうぶつの森」だったことを思い出した。
ゲームというのは、どうしてこんなにもワクワクするのだろうか。ゲームを買いにお店に行った時のワクワク感、買ったゲームを抱えて家に帰るまでのあのゲームをやりたいのにやれないもどかしさ。
いつになっても、あの魔法の道具は私たちを子供のころに連れて帰ってくれるのである。
最近のどうぶつの森は何やら住民厳選ができるらしい。
何たることであろうか。
これはとびだせどうぶつの森まですべてのゲームをプレイした私としては何とも理解しがたい問題である。「厳選」とはけしからん。
どうぶつの森のいいところは住民がランダムなところである。
かわいい子、イケメンな子が来れば大喜びする。おブスが来たらそれはそれでいいネタにする。追い出すことはしない。絶妙にいじる。
それがどうぶつの森ではないのか。
SNSを見る限り、住民の顔ぶれがほとんど同じである。これはどうなのか。たもつも4号も私にとっては可愛いのだが。らっきょだって味があっていいと思う。
私は住民にこだわりがないので一時期村にゴリラが3人いた時期だってあったというのに。
なんてどうでもいいことをストーリーを見ながら考える。正直もうあきた。自粛はもううんざりだ。
最近は某絵文字によく似ている羊で癒されている。ぴえん。
それから数日後の夜である。
母が突然ゲームを買った。このご時世である、お家時間を楽しみ方を考えたのであろう。
私はもちろんスイッチを買ったと思っていた。だって、時代はあつもりだから。悔しいけど。
しかし、流行に乗らないのが私の母である。母が買ったのは、
やけにちっさいファミコンであった。
「懐かしいでしょ!?」と母は自慢げに話す。
いや待ってほしい。私は2001年生まれだ、世代としてはDSである。
ファミコンに懐かしさは感じないし、というか現物を見るのも初めてである。
そして何より私が一番驚いたのはその大きさである。ちっさすぎやしないか。
本体は片手にすっぽりと収まるし、コントローラーに関してはもっと小さい。
私の知っているファミコンの大きさではない。
調べてみたところ、これはどうやら「クラシックミニ」というシリーズらしい。2016年に発売されたそうだ。
30種類のゲームがカセットなしでできるの!と母は楽しそうに話しているが、ファミコンを実際に使ったことがない私には何一つとしてぴんと来なかった。
カービィやマリオ、パックマンはわかる。大乱闘スマッシュブラザーズをやったことがあるのでアイスクライマーやメトロイドもわかる。
でもダウンタウン熱血物語とはなんだ。聞いたこともない。
しかし、そのダウンタウン熱血物語を私が一番のお気に入りにすることをこの時の私は知らない。
そして昨日、家族3人でこのファミリーコンピュータデビューをした。
「最初はマリオだな。」と父がコントローラーを手に取る。土木の仕事をしている父はがごつごつしていてでかいのでコントローラーがさらに小さく見える。絶対にやりづらいと思う。
母もつられてコントローラーを持つ。私は自動的に見る専になった。
正直母は下手だった。「なぜそこで落ちる!?」というとこで静かに落ちる。父は昔やりこんでいたのだろう、かなりうまい。
私も少しだけやってみたが、ヒップドロップができないのを理由にすぐにやめてしまった。
手のひらサイズのファミコンを片手に大はしゃぎする姿はまるで子供である。
ゲームは大人を子供にする。
私はDSを引っ越しする時に売ってしまった。
もし今手元にDSとおいでよどうぶつの森があったら、私も両親のように興奮するのだろうか。いや、確実にする。そして村の金好きの狸にイライラしながらのんびり釣りをするのである。
ポケモンもすてがたい。
特殊技の使い方がいまいちわからず物理技だけでごり押ししていたあの頃に戻ってみたいと思う。
トモダチコレクションで住民にわけのわからない歌を歌わせていたあの頃でもいいい。
ちなみに深夜1時までファミコン祭りは続いた。ドクターマリオのBGMが頭から離れない。普段はクールで、仕事人間の両親の無邪気すぎる姿を見たとき、私は外出自粛も悪くないかも、と初めて思った。
私はメルカリでDSと検索していた。